# 解像度という言葉と、私
2026年 02月 06日

解像度という言葉と、私
解像度は、優劣を測るための言葉ではない。
私にとってそれは、
世界がどの方向から立ち上がってくるかを示す感覚だ。
私は、物の輪郭よりも、
物と物のあいだにある気配に先に気づく。
名前になる前の湿度、
触れる直前の距離、
意味が生まれる少し手前の状態。
だから私の解像度は、
一点を鋭く切り取る刃ではなく、
面で受け取る膜として働いている。
世界は私を通過し、
形になる直前で、像を結ぶ。
見えすぎているのでも、
感じすぎているのでもない。
ただ、通してしまうだけ。
主語のない写真が残り、
説明を拒む言葉が残るのは、
欠落ではなく選択だ。
今日、どの層に光を当てたかという、
私自身のレンズ設定。
解像度は高さではない。
方向であり、態度であり、
世界との距離の取り方。
私は世界を捕まえない。
壊さない距離で、触れさせる。
そのとき生まれる像を、
静かに受け取っている。

